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イタ馬鹿日誌

昼は会社員、夜は母、週末は自宅で料理教室。ristorante-ritz.comのイタリア馬鹿な日々。

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子育ての第二ステージ?

 自分の中にもなんとなく記憶のある年の頃に、だんだんと自分の息子が及んでくると、日々彼と交わす会話の中で、ああ、そういえば自分にもそんな風に感じたことがあったなとか、そんな風に世の中というものを学んでいったっけな、なんて思い起こすことがある。
 いろんな意味で、自分の分身を見ている気がするといったら、親のエゴだろうか。

 ピアノに連れて行くために、ちょっと早い時間に保育園に迎えに行く。
 いつもなら最後を争う退園時間なのに、“Mくんのママがこんなに早く迎えに来た!”と、他の園児たちが一斉に廊下にドバーっ。学年で一番小さい我が息子を囲んではやしたてる。おもむろにその中の一人が急に自分の手を、息子の手に無理やり重ね、
 「手の大きさ、比べようぜ。うわー、小せえ!オレの方がこんなに大きい!」
 そう言われて、しかし、うつむきがちにニヤニヤすることしかできない息子の姿が急に不憫になった私。
 「いいじゃないっ、小さい子もいれば大きい子もいる。どっちがスゴイなんてないのよっ。たとえばアタシはね、背の高い男の人より、背の低い男の人の方が好きっ。だからうちのパパ見てごらん、小さいでしょっ…」
 …何をいってんだ、あたしゃ。しかも5歳児相手に。しかし、なんだか悔しくてたまらない。
 その晩、息子に聞いてみた
 「今日みたいにさ、背とか手とかのこと、小さいねってお友達に言われたとき、Mはどんな気持ちがする?」
 しばらく考えてから息子はこう言った。
 「うーんとね…。Mの他にね、もう一人のMがいて、『別に、そんなことどうでもいいじゃん』って思ってるの」
 その答えに思わずぐっと来た。ヘラヘラを装いながらも、心の中では、実は彼なりにぐっとこらえるための自分なりの方法を、こうして編み出していたのかと思うと、泣けてきた。と同時に、ふと、自分にも幼少の頃に同じような経験があったのを思い出す。主に、同じく友達とケンカしたり、先生から怒られたりしたとき、私の場合、数十メートル離れたところから自分を眺めるようなイメージで、自分が今置かれた状況を客観的に見つめようとしていた記憶がある。
 息子も、きっと『もう一人のM(自分)』を設定することで、自分の理性をコントロールしているのだろう。そう思うと、身体は小さくても、どっこい、人間はどんどん成長しているではないか。

 つづいて翌日。再び保育園からの帰り道。私は公共料金を支払おうと近所のサンクスに寄る。
 ふと見ると息子の手には“プロ野球チップス”。上目遣いで私を見つめながら
 「これ…、買っちゃだめだよね。だって、ほんとは前のやつがまだ家にあるんだもん。だから…、買っちゃだめだよね」
 男ってのは、どうしてこう「正直全開」なんだろう。要は付録の「選手カード」が欲しいのだ。
 「いいよ、欲しいなら買いなよ」
 この手の商品のナンセンスさに早く気づいて欲しい母は、むしろここは思い切って快諾することに。
 今シーズンの中日の順位柄、スポーツニュースを夫が熱心に見ていたら、その影響をモロに受け、選手の名前もルールもろくにわからないくせにいつの間にか熱心な中日ファン&アンチ巨人になってしまったようだ。
 家に帰ると、さっそくチップスの封をゆっくり切りながら
 「ああ、巨人の選手だったら、嫌だな~。ドキドキするな~」そして次の瞬間、大きなため息。
 「はあ…、やっぱり巨人の人だった…」
 “巨人の人”(ちなみに上原)のカードを見つめながらがっくりと肩を落とす息子に、
 「いいじゃない、また買えば」とあえて言ってみる。すると
 「でも…、どうせまた巨人だよ。だって、巨人が好きな人がいっぱいいるから、だから最初から巨人のカードばっかり入ってるんだよ」
 なるほど、こうやって、子供は世の摂理を少しずつ学び、大人になっていくんだなあ。
 思い起こせば、私も4~5歳の頃は、グリコのオマケつきキャラメルにはまって、お菓子屋に寄りたい一心で母の買い物についていったものだ。女の子用だけでは飽き足らず、男の子用まで制覇したが、あるときオマケがちょうど「一周」してしまったのを機に、突然くだらなく思えて見向きもしなくなった。
 そういえば、当時の私の親からも一度足りとて「お菓子を買っちゃダメ」と言われたことはなかった。 それが果たして同様に「飽きるまで買った方が、早く卒業するだろう」という計算の上か、それともただの放任主義が知る由もないが、こうして自分の息子の行動の一つ一つに、自分の幼少期のそれを思い起こすのと同時に、あのときの自分の母の立場に、いつの間にか自分が立たされていることにも強く気づかされる。

 自分が4~5歳の頃、わがままを言うと親からはこんなふうに叱られて、それに対して自分はいつも理不尽に思っていたとか、反対に、こんなことを親から言われてものすごく嬉しかったことか…。
 そんなことをしみじみ思い起こしてみると、迂闊に息子を怒ったり、あるいは適当な言葉で受け流したり、そんな自分の日々のいい加減な行動の一つ一つが、彼の心にどんな影響を与えていくかが、急にリアルに想像できるようになる。
 本当はこう言い返してあげれば嬉しいだろうな、こんな風に叱ってみたらガツンと響くかもしれない。 そんな風に考えていくと、息子に掛ける言葉の一つ一つに、これからの自分の子育てのすべてが集約されていくような気もしてくる。

 自分の記憶を辿れるくらいの年齢に、自分の子供が成長すること。
 それって、感慨に浸っているだけでは許されない、子育ての第二ステージに突入することを意味してるのかもしれない。

 就寝前のひとときに、ガラにもなくそんなことを真剣に考えながら、ふと息子に目をやると、パジャマの上から祖父の腰痛ベルトを巻き、そこへおもちゃの刀をさしたまま、テレビの真ん前に棒立ちになってヌボーっと鼻くそをほじっているではないか。
 「こらーっ、近い!テレビからもっと離れてっ!」
 と、結局いつもと何一つ変わらない怒鳴り声で叱っている私。
 この男児、もしかしたら私なんぞに何を言われようと、全然関係なく生きていくのかもしれない。私の分身なんかではなく、確実に別物である。

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コメント

こんにちは!読みながら目頭が熱くなってきました。別にそんなことどうでもいいじゃん。って大人でもできないことがあるっていうのに!
Mくんはステキなジェントルマンになるんだろうなーっていつも思います。
そしてパジャマ、かわいい~v-22

lucaさま
ステキなジェントルマンですか!?
いや、なって欲しいけど、しかしあの鼻くそ男がなれるのか…?
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Profilo

ritz

Author:ritz
イタリア家庭料理研究家
本業は広告代理店コピーライター
1999年以来、毎年有給休暇を使い果たす作戦でイタリアへ料理修行。年に1〜2回のペースで子連れでイタリアの農家やマンマの家々を転々としています。
HP→http://www.ristorante-ritz.com
Facebook"マンマの台所Ristorante Ritz"→https://www.facebook.com/ristoranteritz/

著書に「トルテリーニが食べたくて」
日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザー
U.M.A.O.オリーブオイル鑑定士
イタリア料理、子育てから、日本の旅、秘湯まで。

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