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私の ナンバーワン 温泉宿

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 「秘湯を守る会」のスタンプが、晴れて満了になったのは昨年のこと。
 夢のタダ泊が実現できる!と安心だけして、しばらく放置していたのには、わけがある。記念すべき一泊は「雪」の季節にしたかったからだ。

 「秘湯を守る会」に所属している宿に泊まるともらえるスタンプ。これを10個溜めると、今まで泊まった宿の中から好きな宿に一泊無料で宿泊することができる。
 温泉好きのキャリアは長いけど、スタンプを集め始めたのは割と最近の話。会に所属している宿にだけ泊まっているわけではないから、意外と長い道のりだった。
 最初の頃は、10個溜まったらどの宿に泊まろうかな、当然、いちばん宿泊料が高かったところにするでしょう、なんて思い描いていたのだが、いざ、満了を迎えてみると、値段のことなんてどうでもよく、とにかく、自分たちが一番「好き」な宿に「帰ろう」と思うものである。

 新潟県は南魚沼郡塩沢。周囲は著名なスキー場に囲まれながら、スキー客はほとんど来ない、大沢山の一軒宿、「大沢館」。顔見知りというほど通っているわけではないけれど、9年ほど前から、細々と4~5回足を運んでいる。
 ここを訪れるのは、やっぱり真冬が一番ではないかと思う。
 名物の、屋根つき半露天風呂から望む雪景色はもちろんだが、何が素晴らしいって、とても一言では言えないところが、この宿の素晴らしいところ。
 豪華な料理が並ぶわけではない。施設が整っているわけでもない。お風呂がいくつもあるわけでもない。温泉宿を評するときに使われる世間の物差しなんて超ナンセンスであることに、ここへ来ると気づく。
 そしてただ、ただ、雪国の懐の深さを、痛感するのだ。

 スタンプ満了の無料宿泊に関しては、秘湯を守る会経由で申込みをし、当会が発券したクーポン券を利用者が当日宿に持っていくシステムになっている。
 というのに、うちの夫ときたら、肝心のクーポン券を忘れてきた、だと!?宿に上がりこんでから気づいている。
 「うっ、ど、どうしよう…。えっと、お金を…払います…」
 しどろもどろになっている夫に、私たちの荷物を抱えながら、エプロン姿のおばさんが言う。
 「後で送ってくれたらいいですよ。そんなつまらんこと気にして、せっかく来たのにリラックスできなかったら元も子もないわ」
 と、どんどん廊下を突き進んでいく。

 ええっと、この人が女将だったっけ?いや、お手伝いのおばさんかな?そんな区別さえつかないのがまた、この宿の良さでもある。
 役場勤めをしていたご主人が、勤めを辞めて30年ほど前に始めたと聞く。切り盛りしているのは、ご夫妻と、近所のおばさんたちだ。
 さて、おばさんの後をついて行きながら、ふと不安になる。そういえば、秘湯の会経由で予約したこともあって、部屋のタイプを聞いていない。確か、15,000円と18,000円の二種類あり、後者の方がトイレと洗面所がついていたはず。子連れには、後者の方が都合がいいけれど、他にも多くの宿泊客でいっぱいだし、いかんせんタダで泊まるわけだから、いわずもがな、安い方に決まってるだろう。
 しかし、案内された部屋は、なんと、高いほうの部屋だった。
 お茶を入れながらおばさんが、ふと気づいたように言う。
 「ぼっちゃん、Lだと、きっと大きいわね。待ってね、今、小さいの持ってくるから」
 再度持ってきてくれた浴衣は、息子にぴったりである。子供用の浴衣と半纏があるだけでも嬉しいのに、サイズまで揃えてあること、しかも他人の子を一目見ただけでそのサイズまでわかってしまうこと。そんなことにも感心してしまう。
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 大沢山の中腹にそびえる大きくて古い建物は、立派な門構えや太い梁といい、いろりのある多くの広間といい、もと豪農の屋敷といった風情。築年数は相当古いと思うけど、廊下も部屋も隅々まで掃除が行き届き、露天風呂へとつづく渡り廊下の入口の履物はいつ見てもきちっと揃えられていて気持ちがいい。隙間だらけの建物であろうに、広い館内の至る所にストーブが置かれ、寒いと感じる場所がない。見えないところへの心配りが24時間、行き届いている。
 見えるところへの心配りだって、挙げたらキリがない。
 まず、大きな門をくぐると最初に宿泊客を出迎えてくれるのは、石焼き芋器の中のホックホクの焼芋。玄関を入れば、大きな石桶の井戸水に浮かぶミカンとリンゴ。渡り廊下の出入り口の岩桶には、あつ~い熱湯が張ってあり、隣に置かれた味噌をつけて食べるためのコンニャクがぷかぷか浮かぶ。その横には特性の甘酒。囲炉裏には好きに焼いて食べるように御餅が常備され、お風呂の出口には、多種多様なアイスクリームの入った冷凍ケースがおいてあって…。
 これらは、宿泊客がすべて自由に食べることができる。
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 そうそう、館内随所のベンチには、灰皿とタバコケースも置かれていて、これも「ご自由にどうぞ」。子供ができる前、女友達とその夫達とグループで訪ねたことがあるのだが、その際、とうにタバコを辞めた女同士が誰から始めるわけでもなく、堂々とプカ~っと一服し始めたのを思い出す。
 心の底からリラックスし、我をさらけ出せる空気が、この宿には流れているのだ。

 つい、ちょこちょこつまみ食いをしてしまい、夕飯までにお腹が膨れてしまうことだけは、肝に命じて注意しなくてはいけない。
 というのも、この宿に来たら、なんたって白い御飯をたらふく食べて帰らなくっちゃ。
 初めて来たとき、浴衣の柄が「米俵」であることに驚いた。でも、コシヒカリの宿と銘打つだけの価値は存分にある。新潟県内でも一、二を争う塩沢産の最高級コシヒカリをカマドで炊いたご飯を一度食べてしまったら、東京の自宅の炊飯器で炊くご飯が、まるで外国米にすら思えるはずだ。
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 夕食は、大広間で他の客と共にテーブルを並べる。…はずが、今回通されたのは、りっぱな囲炉裏のある部屋。我々のテーブルしかない、貸切だ。
 「なんでだろう。子供がいるからかね?」「でも、前回も子連れだったけど、大広間だったよ」
 なんて不審に思いながら、箸に手をかけた瞬間、この宿の、もう1つ忘れてはならない名物がやってくる。
 「いやいやー、今日はアリガトねー」
 ここのご主人だ。いつもは客がびびるほど無愛想だけど、こうして夕飯時になると、おそらくすでに一杯ひっかけてきたであろう赤い顔で、八海山の瓶を片手に、お酌して回るのだ。しかし今回はずいぶん早いご登場ではないだろうか。
 「いやいやー、こんな大したとこじゃないのにね、また来てくれて、アリガトね。これ、八海山の新酒、みたいなやつ、旨いのよ、さ、どうぞ」
 そう言って、新しい瓶の蓋を開けた瞬間にご主人の手から一瞬血がしたたる。どうやらスクリューキャップのトゲで切ってしまったらしい。
 「だ、だいじょうぶですか!?」
 私が咄嗟におしぼりを差し出すと、
 「大丈夫大丈夫。すみませんね奥さん。今、新しいおしぼり、持ってくるから」
 ご主人は、すぐにおしぼり2本を持って戻ると、改めて夫のグラスに開けたばかりの八海山を注ぐ。
 無口で、おべっかひとついえない夫が、聞かれてもいないのに珍しく自分からしゃべりだす。
 「ボクら、こちらは4~5回めになります。いろいろ行きましたけど、やっぱりここに来たくなっちゃって…」
 「いやいやー、嬉しでなー。地震が続いたり、ばあさんが入院したりでウチもいろいろあったけどなー、お客さんにそういってもらえると有難いでなー。ま、息子なんて寄り付きもせんだけどなー」
 それからご主人は、20代の息子さんとお嬢さんがいること、でも二人とも宿の仕事には興味がなく東京で働いていること、先月、秘湯の会の会合が箱根であって上京したけど東京は何度行っても右往左往すること…いろいろ話し始めた。
 その間の息子は、珍しく大人の話に割って入るでもなく、一人黙々とご飯を食べている。八海山は、ご主人の手から夫のグラスにすでに3杯くらいは注がれているんじゃないだろうか。ご主人、今度は矢庭に空いたグラスを手に取ると、
 「いや、悪いね。あの、もちょっと、居てもいいですかね?」
 夫が注ぎ役を代わろうとした手を振り払い、自分でグラスに八海山を注いでいる。
 それからご主人は、新宿からロマンスカーに乗ったら全部指定席で面食らったこと、一両目に乗ったら運転席がないからビックリたまげたこと…、いろんな話でひとしきり私たちを笑わせてくれると、初めてうちの愚息に視線をやり
 「いやあ、いいね。これくらいのうちが、いっちばん、いいね」
 しみじみとそう言ったあと、息子に向かって正座をしなおすと、
 「お名前は何といいますか?」
 「たにょろろ…も△×です」
 にょごにょごと、ろくに返事もできない息子に対し、
 「私は、はやしえいいち、といいます。どうぞよろしくお願いします」
 と畳にくっつくくらい深々と頭を下げて、部屋を出て行った。

 私たちは、それからやっと食事に手をつける。あつあつだった天ぷらもすっかり冷え切ってしまったけれど、あのご主人が、こうして長々としゃべっていってくれたことが、私たちには、なんだかものすごく嬉しかった。
 そしてふと、無料宿泊にもかかわらず、高い方の部屋に通されたのも、夕食も囲炉裏の間での貸切だったことも、この宿をスタンプ満了記念の宿泊先に選んでくれた客への、ご主人の気持ちのような気がしてきた。八海山の新しいボトルを持って、きっと他の客より誰よりも先に、私たちの囲炉裏の間に足を運んでくれたのも、きっとそうに違いない。
なんて思うのは、私の思い上がりだろうか。
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 夕食が済むと、息子にせかされるように、またお風呂。
 女湯の露天は、片面が雪の壁になっていて、息子は、湯船からちょこちょこ這い上がって来ては、雪を拾い、作った雪玉を湯船のへりに置いて、お湯をかけて遊ぶのがたまらないらしい。その姿は、山から里に降りてきたサルそのものだ。
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 風呂上り、アイスキャンディーをかじりながら、夫がぼそっとつぶやく。
 「もったいねえな。こんなところが実家なんて羨ましいよ。ああ、俺が後継ぎたい…」
 しかし私は、息子さんもきっといつか戻ってくるに違いないと思う。
 ここが、代々続いた温泉宿でもなんでもなく、今のご主人が、長年役所勤めを経験した上で始めた宿であるからこそ、こうした数々の見えないサービスを生み出している。
 そう思うと、息子さんも、東京のすさんだ空気に触れ、不条理なサラリーマン生活を経験し、そしていつかこの宿に戻ってこそ、都会の人間にとって本当に癒される空間というものを、しっかりと受け継いでいくことができるのだろう。

 翌朝、チェックアウト時にご主人と会ったら、そのことを、一言でも伝えようと思ったけれど、昨夜とは一変してシラフで無口なお父さんに戻っている姿を目にしたら、そんなことすらおこがましいような気がしてきた。
 玄関先に私たちの靴を並べながら、うちの息子のブーツを指してご主人。
 「これ、いい靴だね。高かったんじゃない?」
 「いや、そうでもなかったと…。6~7000円だったかな?」
 「ええーっ!?な、ななせんえんー!?」
 その瞬間、帳場の電話がなり、走って戻ってしまったご主人とはそれきり話せず、かわりに奥さんが見送ってくれた。
 あっけないお別れだけど、これもまた、この宿ならでは。だって、どのお客さんも、みんな、またすぐに戻ってくるのだから。

 私たちが、今度ここに帰ってきた時、もし、まだ息子さんが東京に居るままだったら、そして夕食どきにご主人が、赤い顔して八海山片手にやって来たら、ちょっと励ましてあげても、失礼じゃないよね、きっと。
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コメント

bimaまま

良いですねぇ
雪景色の見える温泉…素敵ですね
みかんやリンゴやコンニャクなど自由に食べられるなんて魅力的です
ごはんもおいしそう
Mくんサイズの浴衣もあるなんてすごい!
浴衣…似合ってますよぉ
雪玉にお湯をかける遊び 
たまらない気持ち すごくわかります!!
ジュワ~ッととける感じがなんとも良いんでしょうねぇ・・・

ritz

bimaままさま
お帰りなさい!ご旅行はいかがでしたか?今度お目にかかったとき、ゆっくり聞かせてくださいね。
うちは、スキーのためじゃなく雪見温泉のために4駆のクルマにしたくらいなので、今シーズン中にあと二回くらいはいきたいなと。せっかくスタッドレスに代えたのに、元とれないよ、くらいに夫が躍起になってます~。
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ritz

広告代理店コピーライター
イタリア家庭料理研究家
HP→http://www.ristorante-ritz.com
著書に「トルテリーニが食べたくて」
日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザー
イタリア料理、子育てから、オペラ、日本の旅、秘湯まで。

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