2013
Sep
15
2
イタリア2013年夏回顧録 ④ウンブリア その1

さて、またもや途中で終わっていたイタリア・スマホ報告。例によって旅の後半はブログのUPもままならぬほど慌ただしくかけぬけるパターンの子連れ旅。帰国してから腰を据えてと思いながら、結局一ヶ月半後の更新というのももはや慣例化しつつあることに、重ねて反省なり。ということで以下、遅ればせながらの、2013夏のイタリア、続きのお話。
「アギ〜、ばんざ〜い!ばんざ〜い!」
ナツバッパになりきって、ベビーカーに乗ったままぶるんぶるん振っている旗は、4人のムーア人でおなじみのサルデーニャ州旗。悪名高き格安航空会社ライアンエアーも、今やすっかりヘビーユーザー。ど田舎の空港と空港を結ぶ、ありえないような意外な路線があるのが私たちには有り難い。そんなわけで南の島サルデーニャから一足飛びでやってきたのはとっても小さなペルージャ空港。イタリアのど真ん中、唯一、海に面していない山の恵みあふれるウンブリア州で旅の後半を過ごす。
ペルージャからのレンタカーは今度こそ予約通りの“普通の”クルマで一安心。スーパーストラーダを小一時間ほど走った後、あとはひたすら山の中をくねくね突き進み、秘境の定宿に到着。それでもこんなにスムーズにこの宿にたどり着けたのは、ひとえにペルージャ空港に降り立てたおかげ。ミラノやボローニャのような大都市からも飛んでればいいのだけど、使える都市からの路線がまるで存在しないのは、需要がないからだろう、でもそれがまたウンブリアのいいところ。手つかずの自然が、観光客にこびない郷土文化が、受け継がれる伝統料理が、イタリアのど真ん中の山深いウンブリア州にはたくさん眠っているのだ。
これまでの旅報告ですでに何度も登場してるけれど、年老いた両親と、50歳の長男を筆頭にした男三兄弟が力を合わせて農家と宿を営んでいるこのアグリトゥーリズモ、今回は二年ぶりの訪問。たった二年だけど、Mにとっては待ちに待った再訪。なんでも彼に言わせれば「イタリアで僕が最も好きな宿」だそう。でもその理由は、私から見ても十分に共感できる。
なんたって楽しいのだ。いつ訪れてもイタリア各地からの常連客で賑わっているこの宿、前に一緒になった家族と再び一緒になるなんてことも多々あるし、たとえ全員が初対面同士だったとしても、「この宿」に足しげく通っているということ自体が互いの身分証明、自然と不思議な一体感に包まれる。
そして気がつけば、子供たちと遊んでくれるおじさんたちがいる。相手をしてくれるお兄さんがいる。
今回も、最初の晩に「おいM、俺と一試合やらないか?」と声をかけてくれたナポリ人のおじさんと、いつもの年代物のおんぼろサッカーゲームですっかり仲良しに。あれ?Mの姿が見えないと思うと、このおじさんと遊んでいる。

かと思うと今度はプールから「お〜い、M、泳がないのか〜?」と声がかかり、海パン一丁になって走って行くM。彼がこんなにも、言葉や人種の壁をものともせずに無防備で飛び込んでいける、そんな深くて優しい懐を持った人たちが集う場所が、子供にとっても楽しくないわけがない。
さてこうしてMはプールで彼らと大はしゃぎ、夫はNを寝かしつけながら自分も昼寝、とくれば私のゴールデンタイムがスタートする。そう、厨房にお邪魔する時間だ。
一家に代々伝わる郷土料理を作るのは、年老いた母エレナと、三兄弟の長男パオロ。おしゃれとはほど遠い、粗野で力強い田舎料理だけど、田舎料理としてはイタリアで最も「レベルが高い」と私は思う。



自分たちの畑で取れた滋味あふれる野菜たち、広い大地でのびのび育てられた家禽たちは、ホロホロ鶏に詰め物をしたホロホロ鶏の丸焼き、鴨のラグーソースがどばーっとかかった手打ちパスタ、ウサギの大鍋煮込みといった豪快な料理に変身して食卓に並ぶ。

昼間、近くの町へ観光に出かけてた人も、ずっとプールで遊んでいた人たちも、夕ごはんの時間が近づくと三々五々このテラスに集まって一つの大きなテーブルを全員で囲むのだ。
宿泊客があっという間に親戚同士のようになってしまうのも、この時間があるからこそ。美味しさに感動した、同じ舌を持つもの同士に悪い人はいない。

こんなど田舎の、こんな山奥の、おまけに元は馬小屋だったこの古びた建物の軒下で、こんなにすばらしい饗宴が夜な夜な繰り広げられているなんて。ここは俗世間から解き放たれた人々が集う、一夏の天国だ。
深い山間に沈み行く夕日に照らされて、イノシシのラグーをむさぼりながら、ああ、帰って来た。と、イタリアでありながらイタリアではないサルデーニャを旅して来たある種の緊張感から解き放たれていくのを実感する。そして、やっぱり山はいいな、とつい思ってしまうのであった。
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