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イタ馬鹿日誌

昼は会社員、夜は母、週末は自宅で料理教室。ristorante-ritz.comのイタリア馬鹿な日々。

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凹まない人。

 ついこの前、料理修行から帰ってきたばかりだというのに、大きな声では言ってないけど、実はまた来週からイタリアだ。何度も行きたい一心で強硬に予定を立ててしまったけれど、さすがに間が二ヵ月半しか空いてないと、仕事のかたづけも、諸々の準備も、やることだらけで日にちがいくらあっても足りないくらい。
 そんな最中に、なんと父が入院することになってしまった。

 昨夜も用事を済ませていたら、あっという間に日付変わって午前二時。そろそろ寝ようかと思ったそのとき、アパートじゅうに響き渡るような「ドシン」という音。息子がベッドから落ちたか!?とあわてて寝室を覗いてみるが、すやすやと何事もなかった様子。ベッドから落ちたのは、4歳の息子ではなく、上に住んでいる79歳の父だったことを、直後の母からの電話で知る。
 聞けば、床に就くためにベッドに腰をおろそうとしたものの、下ろし損ねてそのまま転倒したとか。もともと右半身が不自由な父は、仰向けになったまま、隣の部屋で寝ていた母を起こすために(うちの両親は、私が物心ついたときから夫婦別室)、床を、ベッドのふちを、たんすを、とにかく手が届く範囲のものを片っ端からバンバン叩いたらしい。
 しかし、こんな年寄りが、なんでまた二時まで起きてるのよ、と皆であきれながら体を起こそうとすると
 「いたーっ。いたたたたた、やめて!救急車呼んで!お願い、お願いだから!頼む!」
 と右の太ももあたりを押さえながら叫んでいる。えー、こんなことで救急車なんて恥ずかしいよ、と説得にかかるも、言うことを聞かないので、渋々119番。
 ところが、かけつけた救急隊員は一目見て断言。
 「これ、おそらく折れてると思うんですよね。股関節が」
 そう言われると急に心配になってきたが、救急隊がこの後、家を出発するまでに、なんと1時間半もかかったのだ。
 ただでさえ、右に麻痺のある体を運ぶ方法を探るのに時間がかかったこともある。狭い家の中の階段を下ろすのに、手間がかかったこともある。しかし、なんといっても、片っ端から電話しても受け入れてくれる病院がなかなか見つからなかったことに尽きる。
 まず、かかりつけのN病院に真っ先にあたってもらうも、整形の外来は受け付けていないとのこと。その他のいくつもの病院も試みてもらったが、搬送先がなかなか見つからない。
 日本の医療制度にこんなにも矛盾と憤りを覚えたことはない。まず「整形外科」という分野が、救急の中では驚くほど軽視されているということ。「整形」の救急医がいる病院はひとつもなかったほどだ。こうした放っておいても死なないジャンルの怪我は、病院にとっては、ベッドを占領するただの邪魔者なのだろう。
 「これこれこういう患者さんなのですが、そちらにお伺いしてもいいですか?とりあえず様子を見ていただくわけにも行きませんかね?」
 救急隊はこんなにも、一生懸命こちらの気持ちになって介抱し、そしていちばんいい選択肢を探ろうと努力してくれているというのに、電話口の向こうからは、冷たく門前払いする声が聞こえてくる。
 結局、「整形の医師は明朝の外来診察が始まる時間まで来ないけど、それまでのレントゲンと痛み止めの処置だけでよかったら来てもいい」という、大田区のI病院に搬送。一度ここで、朝を待って整形の医師に診てもらったあとで、かかりつけのN病院へ転院交渉する、ということに落ち着いた。

 ところが、9時の診察開始時刻になっても、一向に優先して診察してもらえる気配がない。
 たまりかねた私は、かかりつけのN病院へ直接電話をし、事情を説明。すると、そのまま父が世話になっている外科につないでくれて、ここの医師が整形に連絡をとり、受け入れ態勢を進めてくれたのだ。
 並行して、I病院からもオフィシャルな転院手続きが進めらたが、すべてが外来の患者の合間合間にできた時間で対処されるといういいかげんさに、腹立たしさを通り越し、あきれてしまうほど。
 こっちは、夜中に救急車で運ばれてから、ずっと待っているというのに、こんなことなら、父には悪いが、朝まで家で我慢してもらって、世の中の整形外来が始まる時間に救急車で乗りつけたほうが、よっぽど早く診てもらえることになる。まじで、じゃ、一度家帰って、もいちど救急車呼んできまーす、と言ってやろうかと思ったくらいだ。

 結局、N病院に転院できたのは午後1時。そこからは、念入りな検査と手術に向けた慎重な検討がすぐさま始まり、やっと、初めて「病院」に辿り着けた気分になれる。
 しかし、私や母が、あっちの病院でもあれだけ奔走し、こっちの病院でもこれだけ何回も医師から呼ばれて、症状や手術の詳細を聞かされたりして、どんどん深刻な気持ちになっているというのに、当の本人は至って明るい。
 「ああ、やっぱり骨折?だろうねー。なんかさ、右の足がずいぶん短くなっちゃったような気がするのよ。左の足首にあたるはずの右足がさ、なんだかいきなり消えちゃったような感じ。不思議だよー」と看護婦さんをつかまえて放さない。
 年明けに大腸がんの手術で入院したときもそうだったけど、体は寸分も動かせない状態というのに、とにかく口だけは達者。相変わらずきれいで感じのいい看護婦さんが多い、古巣のN病院に戻れたうれしさを隠し切れないといったくらいだ。
 私と母が、入院手続きやら、オムツの購入やらで、病院中をかけまわって病室へ入ってみると、
「いやー、このスイカは食べやすいよ。小さく切ってあって種もない!」
 唯一自由に動く左手を使って、寝ながら呑気に昼食なんか食べているではないか。んもー、こっちは完全に徹夜のうえに、昨夜から何にも食べていないっていうのに。
 「あ、なんだか急に食べたらモヨウしてきちゃった。すみませーん、おねえさーん」
 と、もう勝手にナースコールを鳴らしている。唯一動く左手の、本当によく気が利きますこと。

 脳出血、大腸がん、そして今回の股関節骨折。70を過ぎてからいろいろあったけど、彼自身が凹んだ姿というのを私は見たことがない。落ち込むのも、気をもむのももっぱら家族で、彼自身はどんなときも常にマイペース。
 私が、こうして徹夜したり、仕事を休んだりして、父のことを常に最優先にしていることを、わかってるんだろうか。別に、感謝して欲しいわけじゃない。でも、これだけ皆に思われてることすら、きっとこの人はわかってないんじゃないかと思うと、重症患者であることを忘れて、ちょっと腹立たしくさえ思えてくる。
 生まれてすぐに両親をなくし、祖母に育てられた父。戦時中も疎開もせずに目黒の家に暮らし、ふり落ちる焼夷弾を手で外に放り出していたという父。お金もなく、さんざん苦労もしたけど、めいっぱい遊びもしたと、親戚の大叔父からは聞いている。
 「オレは人生に執着はない」とよく言いきっていたが、なんだか、意外と執着あるんじゃないの?

 手術はあさって。どうか事なきを得ますように。そしてまた、一からのスタートだけど、元気に散歩に行けるようになりますように。
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Profilo

ritz

Author:ritz
イタリア家庭料理研究家
本業は広告代理店コピーライター
1999年以来、毎年有給休暇を使い果たす作戦でイタリアへ料理修行。年に1〜2回のペースで子連れでイタリアの農家やマンマの家々を転々としています。
HP→http://www.ristorante-ritz.com
Facebook"マンマの台所Ristorante Ritz"→https://www.facebook.com/ristoranteritz/

著書に「トルテリーニが食べたくて」
日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザー
U.M.A.O.オリーブオイル鑑定士
イタリア料理、子育てから、日本の旅、秘湯まで。

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