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金婚式

2013_2_10

2月1日で両親が金婚式を迎えた。
それにしても50年もよくもったね。父と母、それぞれにお疲れさまと言いたい。

ハネムーンベビーという言葉の意味を、まさか自分の両親を例えとして知ることになるとは思わなかった衝撃の日を今でも覚えているが、そんなわけで、私の姉が50になる年に両親の結婚50周年もやってくるというわかりやすさ。だから、数年前から「再来年だな」「来年だな」とちゃんと意識しつづけていたはずなのに、いざその年がくると結構忘れてしまうものだ。
幼稚園から高校まで同じ学校に通った同級生の女友達が1月末にFacebookで彼女の両親の金婚式の話題をアップしているのを見て、慌てて思い出した。ほっ。ぎりぎりセーフ。それにしても、彼女とも話したのだけど、1963年という同じ年の、真冬という「結婚式のオフシーズン」真っ盛りに、たった一週間違いで結婚式を挙げていたなんてなんだか奇遇だな。
ちなみに彼女は、ご両親へのお祝いのお花を、フラワーアレンジメントの仕事をしている共通の幼なじみに発注、その写真をFacebookに載せていた。互いの両親の健康を祈年して、私も同じ幼なじみにお花を発注することにした。

当日、「郵送するとアレンジのサイズが決まってしまって、いいものが作れないから」といってわざわざ両親のところに届けに来てくれたのだけど、何より、彼女の顔を見ることがうちの両親にとっては大きなプレゼントであることを、きっと彼女も感じ取っていてくれたのだろう。
記憶がないほど幼い頃に父親を亡くし、女手ひとつで育てられた彼女だけど、小さい頃から本当に明るくまっすぐで、その健気さが父兄の心を打ち、「おじちゃま」「おばちゃま」たちから大人気だった。うちの父もその一人で、「なさけ」の「な」の字もない無感情人間のあの父が「Mちゃん、Mちゃん」といって幼稚園の頃からかわいがっていたものだ。

帰宅して真っ先に上に住む両親のもとを訪ねると、ドアを開けた瞬間、ほわ〜んとなんともいえない甘い香り。テーブルの中央にはそれはそれは見事なアレンジが。シンビジュウムもアルストロメリアもユーカリもそれはそれは最高級のものを選んでくれたに違いないだろうけど、なんといっても薔薇が見事。天然の薔薇だけで、こんなに芳醇で豊かな香りを放つものかとびっくりするほど。
「車を下に停めたままだから、ってMちゃん、すぐ帰っちゃったよ」と残念そうではあったけど、顔色はすこぶる良し。ここのところいいニュースのなかったこの家にも、ぽっと灯火がともったようだ。

というのも、年明け早々に家の中で転んで右肩の鎖骨を骨折した父。こうしてひとつ、またひとつと、身体に不自由な部分を抱えて行くことに、本人よりむしろ母の方が落ち込んでいたこともある。
うちのマンションの中で、賃料の最も高い部屋になかなか住人が決まらず、借金返済に暗雲立ち込めていることもある。
そしてもうひとつは父の従兄の突然の訃報。私からは大叔父とでも呼べばいいだろうか。不二夫おじちゃん、略してふじおじちゃんは、10年ほど前に肺気腫を患い本郷の自宅で開業していた耳鼻科はたたんだものの、いつも好奇心旺盛で、うちの父とは正反対にヨーロッパ文化に造形が深い趣味人。父にかかって来た電話をたまたま私が出ると、そのままイタリアの話を質問してきて30分近く長話なんてこともあった。本郷は父の母方の実家で、乳児の頃に結核で両親を亡くした父のことを、本郷の叔母がたいそう可愛がってくれたと聞く。独身生活の長かった父にとって本郷はまるで実家のような環境、足繁く通ったらしい。ふじおじちゃんは、天涯孤独の父にとって従兄弟の中でも一番近しい、兄のような存在だったに違いない。
肺炎をこじらせて帰らぬ人となったふじおじちゃんの訃報のあとも、しかし、生来、無感情人間の父はこれといって普段と変わらず。訃報直後の金婚式の花も普通に喜び、2歳の孫と無邪気に戯れ…、それでもきっと84歳という年齢において受け止める、父にとって最も近い親類の死というのは、長い人生の中で最も重いできごとのひとつだったに違いない。

ふじおじちゃんの葬儀は、父たちの結婚50周年の翌日。身内で金婚式の宴会でもするつもりだったのだけど、そんなわけでとりえあず延期。神田の教会に父の車椅子を押して出かける。
高齢の故人ほど、親族以外に参列者は殆どなくさみしいくらいだったりするのだが、でもそれは何よりも長生きの証でもある。ふじおじちゃんの葬儀もそう。最初、見知らぬ人たちばかりと思っていた参列者、見渡せば40年近く前の遠い記憶が少しずつよみがえりほとんどが親族であることに気づく。ふじおじちゃんの娘のTちゃん。ふじおじちゃんの妹さんT子おばさんとその子供のSくんとK子ちゃん。これは私のはとこ達にあたる。見覚えのない若者や子供たちは、このはとこ達のそれぞれ子供達だ。

私が小学生の低学年くらいまでは、あれはお正月だったのだろうか、毎年本郷の家に集まって、はとこたちと輪投げやジェスチャーゲームをして遊んだのを覚えている。耳鼻咽喉科の奥に広がる一軒家は、古い洋館といった佇まいで、八王子で石屋を営む母の実家とは同じ古い家でも全く違う、ハイカラな空気が流れていたことも、幼いながら鮮明に覚えている。はとこの中で最も小さかった私たち姉妹は、みんなからかわいがってもらった記憶があるが、一番上のはとこは当時の私から見てもスラリと背の高い、すでに高校生か大学生のお兄さん。子供が成長してしまえばこうした家族同士の集まりは自然と消滅してしまうもので、本郷で過ごす賑やかなお正月も長くは続かず、私が小学校低学年の頃までしか記憶がない。そしてはとこ達の顔も。親同士はともかく、子供同士のつきあいは同じ学校にでも行ってない限り、はとこくらい離れてしまうと途絶えてしまうのは普通かもしれない。

そうして何十年も不義理していた私なのに、それでも温かく迎え入れてくれたはとこ達、大叔母、大叔父たち。結局、父、母といっしょに図々しくも最後の精進落としの席までご一緒させていただいてしまう。遺影の中で笑っているふじおじちゃんに見守られながら、中華料理の円卓では40~50年前の昔話に花が咲く。不謹慎な言い方だけど、粋なふじおじちゃんがもう一度だけ最後に用意してくれた、本郷での賑やかなお正月、私にはそんな気がしてならない。

一方、自分たちの金婚式の翌日に、はからずも親族と一緒に50年を振り返ることになった父と母はどんな風に思っただろうか。これもまた、ふじおじちゃんが両親に用意してくれた粋な計らいなのかもしれない。
結婚して最速で子供を儲けた父と母にとって、自分たちの夫婦の歴史は子供の歴史でもあったわけで、次女の私が30でやっと嫁に行ったと思ったら父の体が不自由になってそのまま15年、素直に向かい合う余裕も環境も訪れないまま互いのストレス積もらせながらも頑張って来た夫婦に、「50年も、よくもったね」なんて言える分際じゃないよな、とつくづく。

ハネムーンベビーならではの宿命として(ハネムーンベビー自体は姉だけど)、これからも父と母の歴史が、子供(あるいは孫)の歴史でありつづけるように、色とりどりのネタを提供しつづけることが、彼らのさらなる結婚生活長続きの秘訣に違いない。
「ねーなんかおかず余ってない~?」も、「宅急便来るから受け取っておいて~!」も、「保育園に間に合わない~っ、塾の迎えも間に合わない~っ、どっちかお願い~っ!」も、父と母の体力の許す限り、彼らのためかもしれない。なんて言ったら調子よすぎるかな。
一説によると、金婚式の後はエメラルド婚式(55周年)、ダイヤモンド婚式(60周年)プラチナ婚式(75周年)と続くそうだ。まずはエメラルド婚式めざして、夫婦揃って、これからもどうか元気で。

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ritz

広告代理店コピーライター
イタリア家庭料理研究家
HP→http://www.ristorante-ritz.com
著書に「トルテリーニが食べたくて」
日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザー
イタリア料理、子育てから、オペラ、日本の旅、秘湯まで。

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ritz

Author:ritz
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