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鏡開きの日に思う、今年のこと

2013_1_11

仲良しのママのFB投稿で気づく、そういや今日は鏡開き。福島で買ってきた小豆をあわてて炊く。餅があまり好きでない私は、開いた鏡餅は家族に食させ、こっそり焼き芋ぜんざい。邪道だな。
2013年、そんな1月11日にして遅ればせながら今年への思いを少々。

昨年も、相変わらずせわしない毎日を送った私だけど、なんといってもMの突然の病気と入院が一番の大きな事件で、新しい年に願うべきことはただただ、子供たちの健康であったはずだ。
神様、助けてください。元気になってさえくれればもう何も望みません。勉強なんかできなくたっていい、だからどうか病気を治してください、お願いします。入院中、確かにそうお願いしたことをはっきりと覚えている。それなのに、無事完治して日常の生活に戻ったら戻ったで、たとえば塾のクラスが一気に底辺まで落ちこんだことに、再びお先まっくら感に打ちのめされてる私は、神様に怒られそうだ。

正月休みも最後の日曜夜のこと。大河ドラマの流れからそのまま見入ってしまった今年最初の「NHKスペシャル」は、梨園入りを決意してからの香川照之を追った「父と子」。
軋轢も恐れず、現実からも逃げず、無骨でも精一杯生きる男の人は、なんてかっこいいんだろうと、つくづく。と同時に「生涯かけて精進する。人生に手を抜かないというのを見せてくれたのが父だから」という言葉が心に響く。私も子供たちのために、凡人なりにも何かを示せる親になるべく日々精進しようと決意しかけたものの、さてこれを今の自分にあてはめようとすると、えらく落ち込む。

よく、仕事に子育てにイタリアに、なんでも一度にこなしてすごいですねと言われたり、年賀状にも、今年もスーパーウーマンぶりに期待してます、なんて書いて頂いたりするのだけど、しかし実際の私はといえば、好きなことを犠牲にしたくないために、ずるずるとこうなったにすぎず、結局はどれもが中途半端。今年こそはと毎年決意する二冊目の執筆だって結局いまだに果たせないまま、仕事だってぱっとしないまま。
本当は受け入れなくてはいけない目の前の現実からも、苦手なものからは徹底的に目を背けてしまう、その最たる例が長男にこの先ふりかかる、いや、常識的な人たちはとっくに渦中で頑張っている中学受験というやつである。なんたってこの一年、塾のシステムすら理解しようとせず、毎回何をならってきたすら知らず、保護者会だって一度も参加しなかったほど。息子のクラス落ちが入院のブランクによるものだけじゃないことは明らかなのだ。

息子のためならどんなことだって犠牲にできてきた私が、どうしても受験に関してだけは前向きになれないのは、親が息子とべったり過ごせる限られた、おそらく最後の時期を奪われてしまうことへのとてつもない切なさ、そしてもう一つは、二男も二歳になってやっとまともに再開できるぞと思っていた料理教室や執筆活動の時間すら奪われてしまうことへの理不尽さ。
そんなわけだから、「生涯かけて精進する」「人生に手を抜かない」という言葉にえらく感動しても、自らにあてはめようとするとつい直近の現実に結び付けてしまうわけで、これからは息子とのイタリア行きもあきらめ、自分の志はすべて断念し、親として受験のために手を抜かず精進しろと言われてる気がしてきて、新年の抱負どころか、ますますお先まっくら感に輪をかける。

そんなときふと、正月に母とデパ地下の甘味屋でお茶していたときの何気ない彼女の言葉を思い出す。
八王子の女系の石屋の次女に生まれ、早くから婿養子をもらって石屋を継いだ長女とは反対に、職人へのお茶出し程度の家事手伝いで30まで実家でパラサイトの後、見合いで父と結婚。幼少期に両親を亡くした父は安定した収入もなかったものの、母曰く「目黒に土地持ってるだけで十分だよ、と親に説得されて」嫁いだという。だから母にしてみれば「こんな貧乏人に嫁ぐつもりはなかった」らしいが、姉や私からしてみれば、家付き土地付き、でも舅姑は無し、おまけに金銭面の援助は実家の親がしてくれる、そんな苦労知らずの嫁はこの世にいないんじゃないかと。娘たちが直面する様々なトラブルも、心もとない発言であしらわれることも多くそのたびに姉と「ママは結局、苦労知らずのお嬢様だからね」と呆れることも多々あった。
そんな母も気が付けば今や介護老人を抱える身、ストレスも多少なりともあるだろう。
この日も「もうパパったら今月の年金、とっくにないっていうから、またひとつ私の定期解約しちゃった。パパのために使い果たす前に、腹が立つから自分のために何か買おうと思って」とデパートのセールに行きたいと言い出したのだ。
ねえねえ、そんなに買っちゃっていいの?なけなしの貯金を切り崩してるだけなんだからね、と釘をさしたいところ、クリームあんみつ食べながら、やにわにこんなことを言い出した。
「あたしさ、今を楽しむことだけ考えようと思って」へっ?「先々の不安なんて考えだしたらきりがないもの。逆に過去のことも考えないのよ。あの頃はお金があってよかったなとか、パパが倒れたりさえしなけりゃな、とか、比較したりするのもやめようと思って。今を一番楽しむにはどうしたらいいか、それだけ考えることにしたの」
どうせ散財の言い訳してるのだろうとあきれて聞き流していたそんな母のセリフが、今になって急に気になり始めた。

今日を楽しむ、今この時を後悔しないように生きる。それって「生涯かけて精進する」ことともしかしたら一緒なんじゃないかと。今を精一杯生きる、ただそれだけを毎日毎日くりかえすということ。それこそ「人生に手を抜かない」ということではないかと。
世間の注目をいま最も集める時の苦労人香川照之と、世の凡人代表みたいなうちの母、この二人の言葉に共通項を見るなんて畏れ多いにもほどがあるが、今の私には、目の前がすーっと明るくなっていく気分を覚える。

私が受験という現実と向かい合わなけりゃ息子だって向かい合えないのは当たり前。もともと幼稚園から高校までゆるい一貫校に通った私に勉強なんて教えられるはずがない。でも、勉強の背中を押したり、頑張ってみる気にさせたりすることが母の役目ではないかと。塾の送迎するのも、考えてみりゃ合唱の送迎するのと一緒。合間にご飯食べたりお茶したり、車中でたわいのない話をしたり、それだって今しか体験できない息子とのイベントには変わりない。
私には今よりさらに果たすべき要素が増えるわけだけど、だからといって自分が本懐としている要素を切り捨てることはどうしてもしたくない、となると寸分の無駄も許されない時間の使い方を求められることになる。それに関しては劇的に過酷になるかもしれない。でも逆に「この数分間すら有効に使っちゃえ」という気になって、もしかしたら今より執筆が進むかもしれん。そんな気にもなってきた。

子供の受験のためにすべてを投げ捨てる覚悟ができたとまで言えないのは、まだまだ失格だろうけど、無駄なストレスや気苦労、無意味なつきあい、そういうものは片っ端からどんどん捨てて行くことにしよう。生活から無駄をそぎ落としていく作業は、人生に本当に必要なことだけを見極めるいいチャンスかもしれない。
これからは恥ずかしげもなく「めざせ○○中学!」とか「あんたはデキる!」とか、堂々と息子に発破もかけよう。もしかして成績も上がってくれちゃったりしたら、ちょっとくらい夏期講習さぼらせて今まで通りイタリアだって行けちゃうかもしれないし。そんな気にもなってきた。

ん?
これって、とてつもない不安に苛まれどっぷり落ち込む割には、結局、アホなくらいの前向き思考で立ち直るいつものパターンか?
つまり、しょせんはこれも母から受継いだ血なのかもしれない。

そんなことを思いながら食べるぜんざい。淵の塗りも剥げだらけのこの椀は、15年前の結婚時に母が夫の分とともに伊勢丹で買ってくれたもの。こんなにもつとは思わなかった。
鏡開きの日に遅ればせながら誓う今年の抱負。どんなに剥げても色あせても、毎夕食このお椀を見ながら、一日一日を精一杯、とことん楽しく生きてみせよう。それが、私が子供たちに見せる、手を抜かない人生だから。



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ritz

広告代理店コピーライター
イタリア家庭料理研究家
HP→http://www.ristorante-ritz.com
著書に「トルテリーニが食べたくて」
日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザー
イタリア料理、子育てから、オペラ、日本の旅、秘湯まで。

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ritz

Author:ritz
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