2007
Jul
04
2
2007春 イタリア報告(5) ~これぞ、イタリア~
~5月初旬~
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まさかイタリアで、トラックの助手席に乗ることになるとは、夢にも思わなかった。
これがもし、違うレンタカー会社からクルマを借りていたら、こんな目に遭わなくて済んだかもしれないし、もっというと、イタリアじゃなかったら、ありえない話だったと思う。
モデナとボローニャの恩人たちへの挨拶めぐりを終えた私たちは、アウトストラーダを南下して、ウンブリアへやってきた。
とにかく急いでいたのだ。
遅くとも午後4時までには目的地であるアグリ(アグリツーリズモ)に到着したい。そこのアグリの長男であり、年老いた母親とともにクチーナ(台所)を仕切るパオロに、今年も料理を教わることになっていたからだ。
ボローニャを昼前には出発しようと思っていたのだが、急にランチに誘われて、すっかり遅くなってしまった。
高速を南へすっとばし、フィレンツエも素通り。アレッツオで降りるとアレッツオにも目もくれず、今度は東へひたすら走ってウンブリア州へ。バイパスのような道路になってはいるものの、舗装はつぎはぎだらけでガタガタだ。一時間ほど走った後、バイパスをはずれ、どんどん山奥に入っていく。
3年前、たまたまネットで見つけたこの宿にはじめて来て以来、自家製野菜と自家製家畜を使った正真正銘のアグリ料理に惚れ込んで毎年通っているのだが、何回来ても、道を覚えられない。
途中から、完全に標識の消える山道、それはもう獣道といったほうが正しいかもしれない道をくねくねと進み、あっちでもない、こっちでもないと夫と半ば喧嘩になりながら、いくつもの丘を登っては下り、そしてまた上り…、ついに、到着!ああ、初めて「一度も電話を入れずに」辿り着いた。ふーっ
と、その瞬間、タイヤからも、深いため息が漏れていたことを、私たちの気配を察して迎えに出てきてくれた、弟のグイドに指摘されて気づく。
見ると、タイヤは最後の息を引き取るようにぺちゃんこになっていった。パンクである。荒れたバイパス道と長い山道は、タイヤにも相当こたえたのだろう。ここまでもってくれただけでもありがたい話だ。
ウンブリアの北に位置するこの宿は、44歳の長男のパオロを筆頭に、次男のジョヴァンニ、三男のグイドともに、そろって独身。年老いた両親には、未だに嫁も孫もいない。
毎年「今年こそは、恋人ができているかも」と密かな期待を抱いていくのだが、そこにあるのは前の年と全くかわらない光景。ルックスも悪くない、なのに、どうして結婚相手が見つからないんだろうと不思議で仕方がないが、それはひとえに、ここがド田舎だから、の一言に尽きる。そのくらい山奥にあるし、それくらいしか欠点が見つからない。謎めいた次男を除けば、親想いで働き者の兄弟には非の打ち所がないと、私は思う。
パオロは母親とともに料理を仕切るほか家畜の世話に畑仕事の一切を仕切り、一方グイドは経営全般を担うほか、アパートメントのメンテナンスはもちろん、宿泊客のメンテナンスにも抜かりない。今回も、このパンク騒動に最後までつきあってくれたのはグイドだった。
最初にパンクを発見した彼は、すぐにタイヤをはずして、空気を入れに行くべく自分のクルマで夫を連れて地元の修理工場へ。ゴムに亀裂が入っていたため交換するしか手がないとわかった瞬間に、今度は夫に代わってレンタカー会社のヘルプデスクへ電話してくれたのも彼。
そして、帰宅するなり厨房で今夜の生パスタの準備をしているパオロと私の前で、当事者の私たち以上に怒っているのも彼だ。
「まったくもう、馬鹿げた話だ!リッツ、君たちは明日の朝、トラックに車を載せてアレッツオまでいかないといけない」
え?!な、なに!? よくよく聞くと、レンタカー会社によるとトラックにクルマを積んで、一番近いアレッツオ支店(それでも、隣の州だ)まで来なければ、タイヤも替えてやらないし、保障もつけない、と言うことらしい。
「いいかい、なにが馬鹿げてるって、わざわざどこかからトラックを派遣するくらいなら、タイヤひとつ持ってこさせれば済む話だ。トラックをよこす経費より、よっぽど少なくて済む。彼らに何度もそういったが、それ以外に方法はないの一点張りだ」
確かに、まったくいちいちその通り。私だって、せっかく明日は、夕飯の支度が始まるまでの間は、ウンブリアの小さな町めぐりに出ようといろいろ計画していたのに、さっき素通りしてきたトスカーナ州のアレッツオまで逆戻りしなくちゃいけないなんて、がっかりだ。
「まあ、これが、『これぞイタリア』ってやつなんだよ。すまないね、リッツ」
横から兄のパオロが落ち着いた声でなだめてくれる。
なるほど、これぞ、イタリアね。すべては、その一点に尽きるのかもしれない。
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こうして翌朝、朝一番にやってきたトラックに、男衆が力を合わせてクルマを載む。雨も降ってきた。
「トラックに乗れるの?ほんとに乗れるの?やったー!」一人、息子だけが大はしゃぎしていることに、むしろ救われる気分だ。本当は禁止されているらしいけど、運転手のおじさんに頼み込んで、親子「3人で」助手席に乗ることを黙認してもらう。
トラックは一路アレッツオへ。イタリア人とは思えないような、ニコリともしない超無口なおじさんとの、しーんとした時間が永遠につづく。こっちは、ただ手を膝に乗せ、黙って前方を見ているしかない。つくづく、トラックの助手席って何か特別な事情がある人間しか乗らない席であることを実感する。
ああ、「北の国から」のジュンになった気分だ。
アレッツオの工場地帯に入り、おじさんがレンタカー会社から指定された修理工場へトラックをつけるも、ここでは「何も聞いてない」と。
ああ、またしても、「これぞ、イタリア」?
修理工場の人間が、今度は、レンタカー会社のヘルプデスクではなく、アレッツオ支店に直接電話をかけ、結局、クルマごと新品に交換することになったらしい。
「とりあえず、君たちを支店まで送っていくよ。そこに新しいクルマが用意されてるらしい」
え、じゃあ、おじさんは?それからどうするの?
「俺はその後、別の指定工場に車を置きに行く。なに、急ぐ旅じゃないさ」
おじさんと唯一、交わした会話がこれ。だけど、実はすっごく親切な人なのだろう。密な空間で一時間半も過ごすと、さすがになんだか名残惜しい気すらする。
イタリア人のせいでひどい目にあっても、それを救ってくれるのもまた、イタリア人。
ああ、これもまた、「これぞ、イタリア」なんだよね。
結局、アレッツオで新品のレンタカーを手にしたのはお昼近く。残された時間はわずかだけど、せっかくだからアレッツオ探索でもして行こうと急いでチェントロに向かう。
ところが、図らずも訪れることになったこのアレッツオの街が、すごく、すごーくよかったのだ。
11世紀から2世紀にわたり輝かしい時代の名残が、観光客に冒されないまま残されている。フィレンツエほど大きすぎない、フィレンツエほど甘すぎない、ちょうどよい居心地のよさ。まさに、トスカーナとウンブリアの境界に位置する町らしい、両方の州のいいとこどりをしているような魅力がある。
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行き当たりばったりで入ったリストランテも、トリッパやビーフステーキがおいしかったし、たまたま通りかかった老舗の生地屋で、気の利いたお土産も買えた。
考えてみたら、それまでずっと、コブつきで厨房に居続けるか、知人の家でだらだらすごすか、どちらかしかしていなかった今回のイタリアの中で、初めての街歩き。
こんなアクシデントでもなかったら、通過点として見過ごしつづけてきたアレッツオの街の魅力に、一生気づかないままでいたかもしれない。そう思うと、「おいおい、俺を素通りとは失礼な奴だ」とアレッツオが仕向けたアクシデントだったような気がしてくる。
さて、ふと気づけば午後3時。今日こそ料理の時間に遅れまいと一目散で宿に戻るとパオロが畑に出るところだった。
「えっ? クルマごと交換しちゃったの?」
びっくりしているパオロに結局こうなったいきさつを説明する。
「でも、これも、『これぞ、イタリア』ってことでしょ?」
「そう、その通り。リッツもたった二日でいろいろ学んだね。さ、今日の夕飯はアスパラガスのラビオリでも作るか」
そういって畑にアスパラを採りに向かうパオロの後についていき、親子で収穫体験。頭だけちょこっと覗かせたアスパラを地面からゆっくりと引き抜くと、白いアスパラが現れる。
おおっ、おいしそう。このイタリアの春を代表する高級野菜、白アスパラで作ったペーストを詰めたラビオリが、うまくないはずがない。
なんという贅沢。これこそ、アグリツーリズモのそもそもの語源であった「農業体験型宿泊施設」そのものであり、これもまた「これぞ、イタリア」である。
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今回は、最後の滞在地で思いがけないアクシデントに巻き込まれたわけだけど、そのおかげで、いろんな「これぞ、イタリア」を体験できた有意義な旅だったとしみじみ感じる。今にしておもえばパンクしたタイヤに感謝の気持ちでいっぱいである。Grazie !

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まさかイタリアで、トラックの助手席に乗ることになるとは、夢にも思わなかった。
これがもし、違うレンタカー会社からクルマを借りていたら、こんな目に遭わなくて済んだかもしれないし、もっというと、イタリアじゃなかったら、ありえない話だったと思う。
モデナとボローニャの恩人たちへの挨拶めぐりを終えた私たちは、アウトストラーダを南下して、ウンブリアへやってきた。
とにかく急いでいたのだ。
遅くとも午後4時までには目的地であるアグリ(アグリツーリズモ)に到着したい。そこのアグリの長男であり、年老いた母親とともにクチーナ(台所)を仕切るパオロに、今年も料理を教わることになっていたからだ。
ボローニャを昼前には出発しようと思っていたのだが、急にランチに誘われて、すっかり遅くなってしまった。
高速を南へすっとばし、フィレンツエも素通り。アレッツオで降りるとアレッツオにも目もくれず、今度は東へひたすら走ってウンブリア州へ。バイパスのような道路になってはいるものの、舗装はつぎはぎだらけでガタガタだ。一時間ほど走った後、バイパスをはずれ、どんどん山奥に入っていく。
3年前、たまたまネットで見つけたこの宿にはじめて来て以来、自家製野菜と自家製家畜を使った正真正銘のアグリ料理に惚れ込んで毎年通っているのだが、何回来ても、道を覚えられない。
途中から、完全に標識の消える山道、それはもう獣道といったほうが正しいかもしれない道をくねくねと進み、あっちでもない、こっちでもないと夫と半ば喧嘩になりながら、いくつもの丘を登っては下り、そしてまた上り…、ついに、到着!ああ、初めて「一度も電話を入れずに」辿り着いた。ふーっ
と、その瞬間、タイヤからも、深いため息が漏れていたことを、私たちの気配を察して迎えに出てきてくれた、弟のグイドに指摘されて気づく。
見ると、タイヤは最後の息を引き取るようにぺちゃんこになっていった。パンクである。荒れたバイパス道と長い山道は、タイヤにも相当こたえたのだろう。ここまでもってくれただけでもありがたい話だ。
ウンブリアの北に位置するこの宿は、44歳の長男のパオロを筆頭に、次男のジョヴァンニ、三男のグイドともに、そろって独身。年老いた両親には、未だに嫁も孫もいない。
毎年「今年こそは、恋人ができているかも」と密かな期待を抱いていくのだが、そこにあるのは前の年と全くかわらない光景。ルックスも悪くない、なのに、どうして結婚相手が見つからないんだろうと不思議で仕方がないが、それはひとえに、ここがド田舎だから、の一言に尽きる。そのくらい山奥にあるし、それくらいしか欠点が見つからない。謎めいた次男を除けば、親想いで働き者の兄弟には非の打ち所がないと、私は思う。
パオロは母親とともに料理を仕切るほか家畜の世話に畑仕事の一切を仕切り、一方グイドは経営全般を担うほか、アパートメントのメンテナンスはもちろん、宿泊客のメンテナンスにも抜かりない。今回も、このパンク騒動に最後までつきあってくれたのはグイドだった。
最初にパンクを発見した彼は、すぐにタイヤをはずして、空気を入れに行くべく自分のクルマで夫を連れて地元の修理工場へ。ゴムに亀裂が入っていたため交換するしか手がないとわかった瞬間に、今度は夫に代わってレンタカー会社のヘルプデスクへ電話してくれたのも彼。
そして、帰宅するなり厨房で今夜の生パスタの準備をしているパオロと私の前で、当事者の私たち以上に怒っているのも彼だ。
「まったくもう、馬鹿げた話だ!リッツ、君たちは明日の朝、トラックに車を載せてアレッツオまでいかないといけない」
え?!な、なに!? よくよく聞くと、レンタカー会社によるとトラックにクルマを積んで、一番近いアレッツオ支店(それでも、隣の州だ)まで来なければ、タイヤも替えてやらないし、保障もつけない、と言うことらしい。
「いいかい、なにが馬鹿げてるって、わざわざどこかからトラックを派遣するくらいなら、タイヤひとつ持ってこさせれば済む話だ。トラックをよこす経費より、よっぽど少なくて済む。彼らに何度もそういったが、それ以外に方法はないの一点張りだ」
確かに、まったくいちいちその通り。私だって、せっかく明日は、夕飯の支度が始まるまでの間は、ウンブリアの小さな町めぐりに出ようといろいろ計画していたのに、さっき素通りしてきたトスカーナ州のアレッツオまで逆戻りしなくちゃいけないなんて、がっかりだ。
「まあ、これが、『これぞイタリア』ってやつなんだよ。すまないね、リッツ」
横から兄のパオロが落ち着いた声でなだめてくれる。
なるほど、これぞ、イタリアね。すべては、その一点に尽きるのかもしれない。
-2.jpg)
こうして翌朝、朝一番にやってきたトラックに、男衆が力を合わせてクルマを載む。雨も降ってきた。
「トラックに乗れるの?ほんとに乗れるの?やったー!」一人、息子だけが大はしゃぎしていることに、むしろ救われる気分だ。本当は禁止されているらしいけど、運転手のおじさんに頼み込んで、親子「3人で」助手席に乗ることを黙認してもらう。
トラックは一路アレッツオへ。イタリア人とは思えないような、ニコリともしない超無口なおじさんとの、しーんとした時間が永遠につづく。こっちは、ただ手を膝に乗せ、黙って前方を見ているしかない。つくづく、トラックの助手席って何か特別な事情がある人間しか乗らない席であることを実感する。
ああ、「北の国から」のジュンになった気分だ。
アレッツオの工場地帯に入り、おじさんがレンタカー会社から指定された修理工場へトラックをつけるも、ここでは「何も聞いてない」と。
ああ、またしても、「これぞ、イタリア」?
修理工場の人間が、今度は、レンタカー会社のヘルプデスクではなく、アレッツオ支店に直接電話をかけ、結局、クルマごと新品に交換することになったらしい。
「とりあえず、君たちを支店まで送っていくよ。そこに新しいクルマが用意されてるらしい」
え、じゃあ、おじさんは?それからどうするの?
「俺はその後、別の指定工場に車を置きに行く。なに、急ぐ旅じゃないさ」
おじさんと唯一、交わした会話がこれ。だけど、実はすっごく親切な人なのだろう。密な空間で一時間半も過ごすと、さすがになんだか名残惜しい気すらする。
イタリア人のせいでひどい目にあっても、それを救ってくれるのもまた、イタリア人。
ああ、これもまた、「これぞ、イタリア」なんだよね。
結局、アレッツオで新品のレンタカーを手にしたのはお昼近く。残された時間はわずかだけど、せっかくだからアレッツオ探索でもして行こうと急いでチェントロに向かう。
ところが、図らずも訪れることになったこのアレッツオの街が、すごく、すごーくよかったのだ。
11世紀から2世紀にわたり輝かしい時代の名残が、観光客に冒されないまま残されている。フィレンツエほど大きすぎない、フィレンツエほど甘すぎない、ちょうどよい居心地のよさ。まさに、トスカーナとウンブリアの境界に位置する町らしい、両方の州のいいとこどりをしているような魅力がある。
-3.jpg)
行き当たりばったりで入ったリストランテも、トリッパやビーフステーキがおいしかったし、たまたま通りかかった老舗の生地屋で、気の利いたお土産も買えた。
考えてみたら、それまでずっと、コブつきで厨房に居続けるか、知人の家でだらだらすごすか、どちらかしかしていなかった今回のイタリアの中で、初めての街歩き。
こんなアクシデントでもなかったら、通過点として見過ごしつづけてきたアレッツオの街の魅力に、一生気づかないままでいたかもしれない。そう思うと、「おいおい、俺を素通りとは失礼な奴だ」とアレッツオが仕向けたアクシデントだったような気がしてくる。
さて、ふと気づけば午後3時。今日こそ料理の時間に遅れまいと一目散で宿に戻るとパオロが畑に出るところだった。
「えっ? クルマごと交換しちゃったの?」
びっくりしているパオロに結局こうなったいきさつを説明する。
「でも、これも、『これぞ、イタリア』ってことでしょ?」
「そう、その通り。リッツもたった二日でいろいろ学んだね。さ、今日の夕飯はアスパラガスのラビオリでも作るか」
そういって畑にアスパラを採りに向かうパオロの後についていき、親子で収穫体験。頭だけちょこっと覗かせたアスパラを地面からゆっくりと引き抜くと、白いアスパラが現れる。
おおっ、おいしそう。このイタリアの春を代表する高級野菜、白アスパラで作ったペーストを詰めたラビオリが、うまくないはずがない。
なんという贅沢。これこそ、アグリツーリズモのそもそもの語源であった「農業体験型宿泊施設」そのものであり、これもまた「これぞ、イタリア」である。
-4.jpg)
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今回は、最後の滞在地で思いがけないアクシデントに巻き込まれたわけだけど、そのおかげで、いろんな「これぞ、イタリア」を体験できた有意義な旅だったとしみじみ感じる。今にしておもえばパンクしたタイヤに感謝の気持ちでいっぱいである。Grazie !

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