イタ馬鹿日誌

昼は会社員、夜は母、週末は自宅で料理教室。ristorante-ritz.comのイタリア馬鹿な日々。

東北の旅(1)まずは仙台へ出陣じゃ。

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うわっ。一カ月以上もブログを放置してしまった。
新年度ってやつは子供の時分からどうも苦手で、気忙しいふりして実はやる気が停滞してるのが正直なところ。
最近なにか楽しい事ってあったっけと考えてみれば、春休みの旅行にまでさかのぼってしまう。そういや、その話も、4月の心の低気圧のせいで書きそびれていたな。
というわけで、鮮度もクソもない私のブログゆえ、今更ながら3月末の旅の話を…。

4月からいよいよMも4年生。この先は、わが家も不本意ながら中学受験体制に巻き込まれていくことになると思うと、子供と過ごせる一つひとつのチャンスを一日たりとて無駄にしてたまるか、という気がますますしてきたこの頃。
3月末、春季講習とやらが始まる前の日まで、4日間つづけてフリーの日があることを発見。ちょうどスキー合宿に参加できる日程だったけど、M自身も「スキーより、どっか行きたいな…」と言い出した。
思い立ってから出発まで一週間を切っていたという俄か仕込みの旅、…Mが思いついたのは奥州藤原氏の都、平泉中尊寺。せっかくなので、宮城から岩手に向かって北上しながら「東北にお金を落とそう旅行」に決めた。

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E5系に乗っていざ北へ。
新幹線は鉄ゴコロをそそらないはずだったんだけど、ホームに上がってグリーンのボディを目の当たりにすると、これが結構、かっこよかったりして。
出発まであと3分。走れ!先頭まで走って行ってMと撮影大会。久々の鉄道に旅に、つい鉄ゴコロが踊ってしまう。

これから3泊かけて、北に向かって温泉宿を転々としながら最後は盛岡を目指す旅。
一泊目の宿は宮城県北部の山間部、鳴子のあたり。近くはスキー場だらけだしせっかくなら初日はスキーにする?という選択肢もあったのだけど「いや、仙台に寄っていきたい」とM。
仙台市内から今宵の宿まで車で二時間。となると市内観光も3時半までには切り上げたいところ。動線的にはちょっと無理があるのだけど、スキーより伊達正宗公を選んだ歴児のために、仙台おいしいとこ取りスピード観光を試みる。

仙台駅を降り、レンタカーに乗った瞬間から、ストップウオッチが頭の中でチ、チ、チ…と動き出した気分。時刻はすでに11時過ぎ。さ、急げっ。
真っ先に向かうは青葉山公園。お馴染み政宗騎馬像のある山の上の仙台城跡は後で向かうとして、まずはふもとの仙台市立博物館へ。
見どころはなんといっても伊達正宗の甲冑。しかし展示されるのはゴールデンウイークやお盆休みなど、年に数回に限定されていて、普段は、代わりに肖像画や甲冑のレプリカなどで我慢しないといけないらしい。ちぇ…という思いで足を踏み入れたのだが、あれ?展示室の奥の奥の、明らかに特別の思われる小さな部屋、ガラスの向こうに3体の甲冑が。中央のものは、なんと政宗公のものではないか!
聞けば、これは直系の伊達家に伝わる甲冑ではなく、家臣の菅野家に保存されていたものとか。それとて政宗のものには変わりはない。肖像画や複製甲冑でごまかされるよりラッキーだったと思おうではないか。
この政宗公の甲冑。正確には黒漆五枚胴具足伊達政宗所用。胴は鉄板に黒い漆が施されていて5枚に分割されてるのが特徴で正宗以降の歴代藩主もこのスタイルを踏襲したとか。なあんてことはさておきミーハー歴児とその母にはやっぱり三日月型の前立てだろう。
これかあ…としみじみ眺めてしまう。当時の日本人が小柄であったことを改めて認識する小ぶりな甲冑にあって、この細くて長い三日月の前立だけが、しゅるんと、まるで刀のように鋭く光る。いや本当は500年も前のものが光ってるはずないんだけど、光ってるような気がしちゃう。
それこそ愛だの恋だのと(恋は無いか…)戦国武将たちがこれみよがしな兜の前立てで競っていた中、あまりにもシンプルな極細三日月とは、相当いいセンスをしていたのね。
この前立て付きの政宗兜は、キッズコーナーで実際と同じ重さでできたレプリカをかぶってみることもできる。
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「うわっ、重っ。ママ、どう?」
とMがふりかえるだけで
「あ、あぶないっ!Nちゃんの顔に三日月がささりそうだったよ!」と叫んでしまう。
そうか、この三日月の前立て、刀っぽいのはあながちスタイリッシュなだけじゃなかったんだな。なあんて。

仙台市博物館には、たとえ甲冑が見られなかったとしても来場者を落胆させないお宝がたくさん展示されている。
慶長遣欧使節の支倉常長像はなんと国宝。一行がローマで謁見した教皇パオロ5世像も「完成度はいまひとつで、皇庁の関係者に配るために制作された複数生産品のうちの一つだった」とされているのにやっぱり国宝。どうやら使節関係の資料は全部まとめて国宝らしい。
殿様とはいえ、一地方の権限で当時の日本で唯一の、そして初の独自外交権を家康から許された政宗、その真の目的には諸説あれど、遣欧使節には相当な気合と覚悟があっただろう。結局、常長が帰国したときは世はキリスト教弾圧まっさかりで、結局なんの成果ももたらさないまま終わってしまうのだけど、遣欧使節に関する数々の歴史資料が「慶長遣欧使節関係資料」としてまるごと、しかも”歴史資料”という類で日本初の国宝指定を得るあたり、政宗の時代から脈々と受け継がれる仙台人のプライドのようなものを見る気がする。
そんなお宝たちに埋もれてしまってるけど、個人的には林子平の「海国兵談」が見られたのが意外な収穫。なぜ仙台に?も不思議だが、子平の姉が仙台藩主宗村に嫁いだのを機に仙台の禄を受けていたとかでお墓も仙台にあるらしい。
歴児につき合うつもりが、思いのほか充実した時間に。大学受験の時に使い込んだ「山川の日本史」のチェックペンだらけで真っ赤になったページが、頭の中でめくるめくった時間であった。

次に目指すは博物館の裏山の頂、仙台城跡。ガイドブックの地図によると、伊達政宗騎馬像のすぐ近くにも駐車場あるみたいだから車で移動したほうがよさそうだ。
いちおう念のため博物館のボランティア案内のお姉さんに聞いてみると、なんと3.11の震災で石垣が崩れ、城跡へ続く道は通行止めになったままだとか。車で移動するとなると、東北大学の敷地をぐる〜っとまわって、わかりにくい上にかなり遠回りになるそうだ。
ならば歩いていっちゃえ!と、お姉さんに教わった通り、博物館の裏庭から山の頂を目指すも、ところどころに雪が残ったぬかるんだうっそうとした山道、これも震災の傷跡かところどころにカラマツ(?)が倒れていて、足元を取られそうになる。途中から通行止め中の舗装道路に出るも、これも車で走ればあっという間の距離だろうが、歩くと結構きつい。縁石もガタガタになっているのをみると、本当に大きな地震だったんだな…と、改めて思う。
そうしてやっと到着。ほんの20分、でも情けないことに足はガクガク。一歳児を抱っこひもでくくりつけて登った夫も顔にこそ出さないものの結構きつかったにちがいない。
「あ、あった、あった、政宗の像、あった〜!」
Mだけが元気に政宗像めがけて走りだす。
仙台市を一望に見下ろす山の上には、気持ちのよい風が吹いている。東の方角に目をやると、一年前に恐ろしい牙をむいたとは思えないほど、静かで美しい海が見える。
静かな公園に突然、日光江戸村から抜け出してきたみたいな3人組が現れて(支倉常長、伊達政宗、あとひとりは…誰?)「みなさんお集まりくだされ〜」といきなり歴史解説が始まる。ボランティアでやってるのだろうか、でもなかなか話も上手であっという間に人だかりが。最後は彼らと記念撮影の列…。
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そんなこんなで予定より時間押し気味で時刻は1時過ぎ。どうりでお腹も空くはずだ。仙台といえば…やっぱ牛タン!というわけで仙台出身の旧友Kくんから教えてもらったガイドブックには乗ってなかった店「司」へ。通な店と聞いていたから子連れに敷居が高いと思いきや
「お子さん用に小さくお切りしますか?何枚分をそうします?」と慣れた対応。子供用の食器セットまで出てきた。
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まだ前歯しか生えてないNには牛タンシチューをオーダー。しかし口にいれてやると瞬時に「ペッ」。臭みが嫌なのか?困った、食べさせるものがない…。ダメもとで牛タンを口に入れてやると、”お店の人が切ってくれないと子供用に切り分けられないほど固い牛タン“を、くちゃくちゃとガムみたいに噛み続けてからごくん。「もっと〜」だそう。

さて、牛タンを堪能したら、食休みする間もなく市の南の高台にある政宗公の霊廟「瑞宝殿」へ。
駐車場に「ご自由にお使いください」と杖がおいてあったので、ん?と思いきや、杉林に囲まれた坂道、うわ、結構きつい。つづいて階段、うわ、結構長い…。さっきまで穏やかな午後の日差しにつつまれていたのに、ここにはひんやりとした空気が流れている。
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この丘の上には、政宗公の眠る瑞宝殿のほかに、二代藩主忠宗、三代藩主綱宗が眠る霊屋が、文字通りそれぞれが立派な御殿のように、林の中に点在している。中でもやっぱり政宗の「瑞宝殿」が一番立派。門をくぐって階段のぼってまた門をくぐってやっと霊廟に着くこの感じといい、色とりどりで豪華絢爛な装飾といい、まるで「プチ東照宮」のよう。当時の建物は残念ながら終戦間際の戦災で焼失してしまい、現在のは昭和54年に再建されたものだけど、それでも厳かな空気が流れている。
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隣接する小さな資料館では再建の際に行われた発掘調査で発見された資料が細かく展示してあるのが興味深かった。貴重な副葬品の数々はもちろんだけど、中でも遺骨まで調査して伊達正宗本人であることが確証されたこと、また遺骨のレプリカから見事に復元された「リアルサイズ」の政宗、忠宗、忠宗の三藩主の容貌像の展示などは食い入るようにみてしまう。
あと数か月早く戦争が終わっていたら400年前の建物が今ここで見られたのにと思うと惜しい気にもなるが、再建がなかったら、禁断の発掘調査に踏み込むことあり得なかったと思うと、これはこれで400年前のもっとも貴重なものを見せてもらえたようで、なんともいえない気持ちになる。
政宗公の、まさに魂に触れた後、再び駐車場めざして坂道を降りてくる際にふと見つけた「鹿児島県人七士の墓」。木立を抜けると仙台市を見下ろすように、古いお墓が並んでいる。
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明治10年の西南戦争で敗れた薩摩軍の兵士たちのうち、西郷隆盛の叔父をはじめとする305名が仙台の監獄署へ。うち、収監中に病死し故郷へ戻ることのできなかった7人の墓だそう。国事犯といえど温かい待遇で迎えた仙台の人たち、それは自分たちもいろんな歴史を背負ってきたからできることなのかもしれない。

仙台には政宗にまつわる見どころはまだまだあれど、温泉宿で夕飯前に一風呂浴びることを考えると、そろそろ行かなくは。後ろ髪を引かれる思いで仙台を後にする。
北へ向かって車で一時間半。気が付くと空も急に暗くなり、雪がしんしんと降っている。仙台のうららかな春の日差しからは一転してあたりは真冬の光景。
高速を下りてからも、特に山道を走ったわけでもなく、ずっと平坦な国道を走り、うんと山奥に来た感じもしないまま、今宵の宿、鳴子中山平温泉「うなぎ湯の宿琢秀」に到着。でも車をおりると、雪につつまれたし〜んとした山里だ。周囲にはさびれたカラオケ飲み屋もあったりするが決して下世話な温泉街ではなく、あくまでも静かな山里。いかにも気取りのない東北の温泉郷という感じ。

「秘湯を守る会」にも入っているこの宿、名物の大浴場「長生の湯」が震災の影響で使用できなくなっているから宿泊代を割引きますと言ってくれたほどだったけど、大浴場以外にも風情ある露天がふたつ、丸いヒノキ桶の露店風呂がついた内湯も二つと、大いに充実。しかもそれぞれ全く趣の違う作りになっていて男女入れ替え制、つまり、異なるぜ〜んぶのお風呂を楽しめる仕組みになっている。
夕食前に、まずはMと一緒に露天風呂へ。宿の裏手から専用の草履に履き替え渓谷に向かって下りていく。夕方から降り出した雪がすでに数センチもつもっていて足を取られそうになりながら小さな小屋にたどりつく。「茅葺風呂」と「岩風呂」の二つに分かれていて、今の時間が「茅葺風呂」が女湯のようだ。
さ、さむ〜〜〜。震えながら大急ぎで服を脱ぎ、そそくさと湯船へ…。すれ違いでこれから上がろうとする若い女性が「ぬるぬるして滑りますよ。お子さん、気を付けてくださいね」と丁寧に声をかけてくれる。ぬるりとしたとろみのある湯がここの温泉の特徴。ん?だから「うなぎ湯」というのか?
ふたりきりになったところで、写真撮影。
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Mといまだにこうして女湯に同行できるのも、女の子っぽい風貌もあるけど、やっぱり小柄でせいぜい低学年にしか見えないからかもしれない。そのうち、本人が嫌がるが早いか、宿泊客からクレームが出るが早いか、一緒に入れなくなる日もそう遠くないことを思うと、最近、温泉にくる度にさみしくなってしまう。こんなとき、うちに男の子しかいないことに、ものすごく憂いを覚えたりして。でも、女の子だったら、それこそこんな風に入浴シーンの写真をブログにアップなんて、できないわな。これこそ、男子でよかったと思わねば。雪ふりしきる露天に傘をかぶってあぐらかき…うわ、なんかオヤジくさいぞ。

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夕食は、専用の和室を家族で貸切。若い女将自らが、次々に食事を運んできてくださる。気取りがなくても美味な料理というのはこういうのを言うのだろうか。刺身の盛り合わせも新鮮でものすごくおいしい。びっくりしたのは、いわゆる各人ごとに「固形燃料」を使う系の料理が二つもあったこと。これだけ温泉宿泊まっていながらここが初めてかも。最初の鍋は地元の豚肉を使った「豆乳しゃぶしゃぶ」用。つづいては、これまた地元の和牛の「ステーキ」用。チャッカマン役のMは3×2ラウンドで、計6回も着火できたのが嬉しかったか、妙にご機嫌である。
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父と母には酒をついでまわり、弟には水を強制的に飲ませ…
部屋に帰ったらこの始末。酒乱童子みたい。
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歴児とゆく旅、明日はいよいよ中尊寺です。
  1. 2012/04/29(日) 00:13:53|
  2. にっぽんの旅
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4月です。一から出直しの季節です。

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同じ生まれ月、同じ性別、同じ体型とくると、見事に兄のお下がりがぴったりで、服や靴はもちろん、帽子や靴下に至るまで、気がつけば全身お下がりを身につけてるなんてことはザラ。衣類だけでない。マグマグや、おむつ用きんちゃく袋だって再利用だ。
そんな兄のお下がりに包まれた二男を子育てしていると、ただでさえ毎日が「8年前」のようで、相変わらず髪の毛振り乱して子育てしてる自分をますます思い知るというか、なんというか…。

ふと、いつか知人がプレゼントしてくれた兄弟お揃いのシャツがちょうどいい大きさになっていることに気づき早速着せてみる。
どうだ!二人揃って「おニュー」だぞ!
しかし、二人並んで座らせてみると、これはこれで、「8年後はこうなるんか〜」「8年前はこんなだったんか〜」を見せつけられるようで、結局子育てリフレインの象徴図以外の何物でもない。

さて、そんな中、今日から二男は新しいスタートを切る。
一年間お世話になった無認可保育園を離れ、長男も通った近所の区立保育園へ転園。
どんなに人見知りしない子も一歳児のこのタイミングでの転園は大泣きなのよね。そう、長男の時もそうだった。
同じ通園路、同じ教室、同じ持ち物。初日は午前だけの慣らし保育のあと母親付き添いで給食、これも8年前と変わらず。
変わったことといえば、区立だから先生がほとんど入れ替わって知ってる先生がいないこと、そしてなんといってもお母さん達がうんとうんと若いこと…。
そんな親の心知らぬ本人は二時間泣き喚いた挙句、給食出てきたらピタリと泣き止み「おいチィ、おいチィ」とつぶやきながら完食。コイツのあさましいまでの食いっ気に今回ばかりは救われる。

さあ、これから泣かれ地獄の朝がおそらくあと一週間、その後は小学校に上がるまで、長男のときと同じ5年間がひたすら繰り返されるのだ。
世間が新年度に気持ち新たにする中、ああ、また1から繰り返しか〜の感を新たにする私。この際、私自身も畏れながら8年ぶん時計の針を巻き戻させていただいて、誰になんと言われようと今日から36歳でいかせていただこうと思います。
(え?それでもまだ他のお母さんたちには追いつかないって?という声にもこの際耳をふさがせていただきます。)



  1. 2012/04/02(月) 23:36:46|
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努力賞

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長男Mが入っている少年合唱団の一年間の集大成である定期演奏会も無事終了。
一年生で入団したばかりのころは毎週二回の練習も行くのがやっと。泣き出すこともしばしばで、じゃ辞める?と促せば、いやだ辞めない、歌いたい、でも練習行きたくない、の繰り返し、そんな日々だった。
それでも少しずつ慣れるにつれ、歌うことが好きで好きで仕方がない仲間たちと同じ時を共有する楽しさ、そんな仲間と力を合わせて何倍、何十倍ものハーモニーを築き上げる達成感に目覚め、気がつけば、 海外オペラに出演して世界の一流歌手たちと同じ舞台に立ったり、アニメの吹き替えに挑戦させてもらったりと、いつのまにか親も羨ましくなるような貴重な経験を積むまでになった。
まず感謝すべきは、やんちゃ盛りの男子たちの尻をたたきながら、親よりも厳しく、でも親以上の懐の深さで指導してくださった先生方。
そしてやっぱり褒め称えるべきは、いろんなことを我慢して練習に励んだ子供達であろう。オペラ出演前やクリスマスコンサート、定期演奏会が近づけば、土日とも弁当持ちで特訓、特訓、また特訓。そんな生活を学校と並行してやってのけるなんて、もし自分だったらと思うととてもじゃないが耐えられない。

さて、そんな私がなんとこの一年間、私だったら耐えられないであろう日々を、息子と一緒に送ることになった。つまり、母たちの間で一度は果たさねばならぬ役員仕事である。
団体種目、それが子供のこととあらば、技術に限らずいろんな意味でのクオリティを維持していくためには、月謝払って、ハイ、あとはお任せ〜ではなく、こうした親組織のバックアップ体制があってからこそ。それは重々わかっていたのだけれど、子供たちの練習日に合わせてほぼ毎週土曜、特訓に入れば土日とも…、働く母にとって、これが結構つらかった。

週末に開催していた料理教室も思うようにできない。今まで週末で済ませていたはずの用事もすべて滞る。二男はいつの間にかトコトコ歩き、いつの間にかいろんな言葉を覚えているけれど、私はその成長の瞬間、瞬間すら見届けていない。土日とも一日中夫と留守番させていたらすっかり夫になついてしまい「パパ、パパ」とは言うけれど私のことは「オッパイ」としか言ってくれない。子供が一生で一番、日々変化するこの大切な時期を、母である私が共にできないことのもどかしさたるや幾ばくか。
考えてみたら、ちょっと家族で近所に買い物に行く、夫に言いそびれていた平日のできごとを話す、休日のそんな些細な時間ですら、共働きの家にとっては貴重な時間だったはずだ。
どこかで歯車がギシギシと嫌な音を立て始めた感じというか、なんというか。
仕事・家庭・イタリア料理活動の3つのバランスは、土日で帳尻を合わせていたからこそ成り立っていたことを、初めて痛感する。
特に、クリスマスコンサート、1月のオペラ出演、そして今回の定期演奏会と続いた後半はますます殺気立っていたかも。
その間に、母が倒れる騒動があったり、Mの塾通いが始まったり、夢中で目の前の用事をこなすので精一杯。思えば、昨秋11月の夢のようなイタリアの旅から帰国してからというもの、一転して一時も休む間もなかった4か月間は、でも、自分の中では空白のような4か月なのはなぜだろう。

そして迎えた一年のしめくくり、定期演奏会。
一年がかりで練習を重ね、積み上げてきた子供たちの天使の歌声を聴けば、しかしやっぱり、母の苦労なんてあっさり帳消しになってしまうものなのだ。
どんな難産の苦しみも、生まれた子供の顔見た瞬間に忘れてしまうようなものかな。
そしてまた、そんな子供たちの舞台の成功の一端を役員の母たちが大きく担っていることも、誰かにわかってもらおうなんて気もまったく起こらなくなる。
そう、なんてたって、やっぱり一番ほめたたえるべきは、子供たちなんだから。

定期演奏会が終わり、翌々日の卒団式で今年度の活動も終了。
ほとんどの団員が皆勤賞、もしくは精勤賞をもらう中、遅刻やずる休みの常習犯のMは、お情けで授与される、その名も努力賞。
でも本人は「これって努力した人しかもらえないんでしょ?」と自慢顔。
この超ポジティブ思考、少しでいいから母にも分けてほしいものだ。
「どこに飾ろうかな〜。ここがいっかな」
と一番邪魔になるキッチンのカウンターに置こうとするので「自分の机の上に置いておけばいいでしょ!」と撤去させたはずなのだが…
Mが寝た後、居間のテーブルに戻ると、私がPCをいじるときの定位置にこれ見よがしに置いてある。
しつこいなあ。もう見たってば、わかったってば。

と、呆れかけたとき、ふと、思う。
これって、もしかして母への「努力賞」おすそ分けってこと?
私の方に向かっておかれた努力賞の盾が、なんだか息子からのねぎらいのように思えてきた。

と、いい気分になりかけたところで、ふと、思う。
これって、もしかして息子に勝る超ポジティブ思考ではないか。

ま、いっか。とにもかくにも、終わった終わった〜。
  1. 2012/03/22(木) 01:42:42|
  2. その他のできごと
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アンギアーリの戦い

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さて、先日の講演で、料理修行の話ばかりで2時間もなんだしと、箸休め用に用意していったものがある。それは平たく言えば「小さな町めぐりシリーズ」とでもいうべきか。 

イタリアの田舎を旅する醍醐味は、郷土料理のほかにもうひとつ、実はガイドブックにも載っていないような小さな町を“発掘”することにもある。
骨太な地方料理が脈々と受け継がれる土地というのは、当然のことながら、地元の人々の土地への愛着心やプライドが脈々と受け継がれているからこそのこと。
地方国家イタリアならではの歴史的背景も手伝ってか、地方にいくほど壮大な歴史秘話があり、地方にいくほど頑なに語り継がれている。どんな片田舎にさえも、著名な画家の作品が眠っていたり、国の歴史を語るうえで欠かせない旧跡があったりするのも、イタリアならではのことだと思う。

中でもウンブリアからトスカーナにかけて、中世の面影を今も残す地域は、こうした村を“発掘”するには事欠かない。先日の講演で、いくつかを取り上げてご紹介しようと思っていたのだが、結局料理修行の話だけで時間切れとなり、小さな町シリーズの写真はお蔵入り。しかしなんと、そのうちのひとつにちなんだ話題が、今日のニュースで大きくクローズアップされているではないか。なんだか急にうずうずしてきて、「蔵」から引っ張り出して来てここで紹介してみることにした。

「アンギアーリの戦い」。
そもそもアンギアーリの戦いとは、ウンブリアとの州境にほどちかいトスカーナの小さな町アンギアーリで、実際に起こった戦いのこと。1440年、ウンブリア攻撃の拠点にちょうどよい地の利のアンギアーリを攻撃してきたミラノ軍と、それを迎え撃つフィレンツエ軍との戦い。結局ミラノ軍は撃退されたのだが、この戦いののち、ダヴィンチがフィレンツエ共和国からの依頼でフィレンツエのヴェッキオ宮殿の500人広間に描いたとされる巨大壁画が「アンギアーリの戦い」である。
未完のまま16世紀半ばの大広間の改修でジョルジョ・ヴァザーリによるフレスコが画がこれにとって代わり、ダヴィンチの「アンギアーリの戦い」は失われ、ルーベンスらによる模写のみが存在すると言われていたのだが、なんと、このヴァザーリのフレスコ画の裏にダヴィンチの壁画が隠されているかもしれないと美術家のセラチーニ博士が発表して話題になったのは70年代のこと。
ヴァザーリが描いたフレスコ画の中でフィレンツエ兵が掲げている緑色の軍旗に「Cerca trova」(探せ、さすれば見つかる)とヴァザーリの文字で記されていることも彼が後世につたえるべくして残したヒントであると。そこでこの500人大広間をくまなくX線などにより調べたところ、「アンギアーリの戦い」があったと言われていた東側の壁面がヴァザーリによってつくられた二重壁になっていたことが判明、2007年にはイタリア文化庁から本格的な調査の許可が下りていたところだった。
その二重構造の壁の裏側から、なんとダヴィンチがモナリザで使用した絵具と同じ成分の黒色顔料が見つかったと!今日昼間のニュースを見てびっくりした。
いよいよ、ヴァザーリが残した暗号が解き明かされ、そして解明される瞬間が、すぐそこまで近づいてきたということだ。
先日の講演で、せめてアンギアーリの話だけでも触れられていたら、このニュースをもっと身近に感じてくださった方もいたのではなかろうかとますます後悔する。
いや、美術に詳しい方ならとっくにご存じの話であって、余計なお世話というやつかな。
とにもかくにもお見せそびれたアンギアーリの、ダヴィンチの「絵」ではなく村の「写真」をせめてここでご紹介しておきたくなった。

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このアンギアーリ、町の人口はたったの6000人。トスカーナらしい牧歌的ななだらかな丘を進むとみえてくる丘の上の中世都市。小さなエレベータを登り城壁の中に入ると、し〜んと静まり返った空気に一瞬足がすくみそうになるほど。石造りの建物が密集し、たくさんの小さな石畳の階段や坂道が入り組んでいて、中世に迷い込んだよう。ウンブリアの渋さと、トスカーナののどかさを併せ持っている、これもまた、このあたりならではの町の魅力だと思う。

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歴史地区の中は一周しても10分とかからないような本当に小さな小さな町。
町の中心、といっても学校の教室いっこ分くらいしかない広さのマメーリ広場、ここにマルゾッコ宮殿とタリエスキ宮殿があっていずれも博物館になっている。ダヴィンチの「アンギアーリの戦い」の模写、3つあるうちのひとつもここに。
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教会や洗礼堂も、小さいけれどどこか荘厳で、風格があって、こんなあたりもトスカーナの村というより、どちらかというとウンブリアの匂いを感じずにいられない。

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現在は市庁舎のプレトリオ宮殿。その昔はかつてフィレンツエ政府の裁判所などとして使用されていたとか。上を見上げると歴代の裁判官の紋章で飾られている。
pretorio2
この中には、ピエロ・デッラ・フランチェスカの師匠だったアントーニオ・ディ・アンギアーリのフレスコ画もあるのだとか。

こんな風に、ガイドブックには載ってない小さな町も、実はうんと歴史があって、お宝がザクザク眠っているのが、イタリアの魅力。特にウンブリアからトスカーナにかけてはこうした町の宝庫だから、小さな町歩きがやめられない。
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…しかし、ダヴィンチの「アンギアーリの戦い」の正体がついにあきらかになったら、ここ「アンギアーリ」にはわんさか人が訪れちゃうんだろうか、
それともわんさか人が訪れるのはヴェッキオ宮殿の大広間のほうで、模写なんぞが展示してあるこっちのアンギアーリは相変わらずひっそりとしてるんだろうか。
希望をいえば、断然後者。
でもアンギアーリの人たちは、そんなこと、どうでもいいんだろうな、きっと。
イタリアの地方が、どんなに小さな町でもさびれることなく「元気」なのは、つまりはそういうことなのだ。
  1. 2012/03/13(火) 17:37:54|
  2. ITALIA全般
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講演終了

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さて、講演。
成功のうちに終わったとも、無事に終わったとも自分では名言できず、「とにかく終了した」としか言えないけれど、とにかく終了。

当日は、友達や知人もかけつけてくれてご祝儀出席が前列を占めてくれたこともあり、幸いにも終始緊張感ゼロ。十年前に一度お仕事でご一緒した方が私の話を小耳にはさんでかけつけてくださるという有難い話も。
そんな方々の温かく寛大な視線に甘えながら、マンマたちの温もりあふれる田舎料理の話、彼らの人生観や生き様などなど、いざ話し始めると時間がどんどん足りなくなって、準備していったもののうち三分の一はお蔵入り。
料理やマンマの話の間に挟もうと思っていたウンブリアの小さな街の写真や、ピエロ・デッラ・フランチェスカの秘宝が眠る村々の話などにも触れられなかったし、挙句、時間がいよいよ迫って「質問などございましたら…」と一旦司会のH先生にマイクを預けたらそのままお開きにされてしまって、用意していった締めの言葉も言えずじまい。これぞコピーライターのプライド発揮とばかりにテーマをしめくくる哲学的な言葉を用意していったのにな。なあんて。
講演の段取りは本当に難しい。勉強になります。

なぜ私が田舎のマンマの味にこだわるのか。なぜ小さな子供を二人も連れてまでしつこく料理修行に通っちゃうのか。なぜ何回も何回も同じ家庭やアグリに足を運んじゃうのか。そんなことがわかってくれたのだとしたら、講演はひとまず成功なんだけど…。
「大丈夫。リッツの言いたかったことは、今日の話を聞けばみんなわかるよ。ビシバシ感じたよ!」とは、我が宣伝部長兼応援団長のユミキーナ姉。100点満点中の、120点をくれたので、自分の中でも合格点としよう。

なにより、この13年の間これだけお世話になっていながら、二冊目の出版に至らないままその話に触れることができていないマンマたちやシェフたちを、講演という規模ながらもイタリア好きの人たちに紹介することができたこと。それが自分の中ではとにかく嬉しい。そして、つまるところすごいのは私ではなく、イタリア人たちなんだということが、講演に来て下さった方にわかってもらえたなら、ものすごく嬉しい。

さて、講演が終わったら、二週間の禁欲の徹夜漬けの日々にひとまずピリオド。
弁当と夕食の超手抜き、添い寝の放棄など数々の悪行を見逃してくれた家族に恩返しすべく、めいっぱい時間かけて料理したりするのだ。いや、ひたすらぼ〜っと呆けるのもいいなあ。ああ、何しよう!何しよう!
と思っていたのに、講演の翌日に出社してみると、それまで順調に行っていたはずのある作業がいきなりトラブル。その翌日は息子の合唱の役員仕事でバタバタと急に出張校正が発生。その次の日は二男が発熱。…とまあ、次から次へとふりかかってくるものだ。

とにかく毎晩、「ああ、写真整理が終わらない」「話す内容がなかなかまとまらない」で、パソコンに向かっても向かっても「はい、準備万端!いつでも講演できます!」の領域にはついぞ最後まで到達できず。ああ、講演があと1週間先だったらな…と思いながら当日がやってくる。
言ってみれば準備途中のまま迎えてしまった文字通りおぶっつけ本番だったのだけど、だからといってもう一日講演が先だったとしたら、それはそれでカラダが空かなかったことになるわけで想像しただけでもぞっとする。
そんなことを思うにつけ、今回の講演、「無事終了」と言ってもいいような気がしてきた。
素直に達成感を味わうことにしようかな。
  1. 2012/03/02(金) 23:23:17|
  2. イタリア料理(その他)
  3. | コメント:4

お尻に火をつけて。

2012_2_24

イタリア研究会の運営委員長、H先生から、「2月の例会で講演を」とお話しいただいたのは昨年12月頭のこと。
ええ〜、先生、それはいくらなんでも無茶ですよ。毎月、イタリアの各分野の大学教授や専門家プロが、それはそれは高尚な話をしてくださるイタ研の例会で、なんぼなんでもこんな素人の私が講演だなんて、会員からクレームが来ますよと、一度はお断りしかけたのだが、
いやいや、お料理といっしょで、毎度毎度ゴージャスなお料理ばかりたべていると飽きてくるものです。たまには気分転換も必要ですから。
そうおっしゃっていただいて決心がついて引き受けた。ならば思い切り素人パワー全開でやってみようかと。

ご依頼いただいたタイトルは、私の子連れ料理修行。
ますますもって、なんだか申し訳ない思いだけれど、イタリアの田舎を渡り歩いてきた過去の写真をたくさん見せながら、世界にたった一つしかないマンマたちの料理を、その人柄や生き方を、
私が感じたとおりにお話ししてみることに。

さて、なんといってもまずは過去13年間の写真整理に着手だ。
…と思ったまま、なななんと、この二か月間、なにも手をつけられずにここまで来てしまった。
で、いよいよお尻に本格的に火がついて、夜な夜なPCに向かう日々。

ああ、締め切りがすぐそこに近づかないとエンジンかからないこの性格。
これだから、日の目を見るかどうかもわからない執筆活動は遅々として進まないわけだ。
ということを改めて痛感し、早くも愁傷な気分になっている私。
でも、こうして遅ればせながらとはいえ、着々と写真の整理ができていることを思うと
講演が終わったら、今度こそはアルバムもきちんとつくって、怠けていた執筆も、よし、やるぞ!と決意。

ん?こういうの、うんと若いときにもあったような…
そうだ。間際になってよくやく腰をあげて試験勉強、つらい徹夜の一夜漬け、よし、今度の試験がおわったらすぐに次の期末試験に向けて、勉強に着手するぞ、今度こそコンスタントに勉強するぞ!
と決意するんだけど、試験が終わると、また怠けているというやつだ。
学生を卒業して22年もたつのに、私ってば何にも進歩してないんだな…。

本番までたったの3日。
そんなわけで、行き当たりばったりの講演になること間違いなし。
こんな不届きものの私を、ああ、どうぞお許しください。

  1. 2012/02/25(土) 00:42:25|
  2. イタリア料理(その他)
  3. | コメント:0
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ritz

Author:ritz
広告代理店コピーライター
イタリア料理ジャーナリスト
HP→http://www.ristorante-ritz.com
著書に「トルテリーニが食べたくて」
日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザー
イタリア料理、オペラ、ワインから、日本の秘湯まで。

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